1)免田事件

1948年12月29日深夜から30日未明にかけて熊本県人吉市で発生した強盗殺人事件。1952年1月5日に死刑判決が確定しましたが、1983年7月15日に再審無罪判決が言い渡されました。

 

2)財田川事件

1950年2月28日に香川県三豊郡財田村で発生した強盗殺人事件。1957年1月22日に死刑判決が確定しましたが、1984年3月12日に再審無罪判決が言い渡されました。

 

3)松山事件

1955年10月18日に宮城県志田郡松山町(現大崎市)で発生した放火殺人事件。1960年11月1日死刑判決が確定しましたが、1984年7月11日再審無罪判決が言い渡されました。

 

4)島田事件

1954年3月10日に静岡県島田市で発生した未成年者誘拐殺人、死体遺棄事件。1960年12月5日に死刑判決が確定しましたが、1989年7月31日に再審無罪判決が言い渡されました。

 

5)足利事件

1990年5月12日に栃木県足利市で発生した誘拐殺人事件。2000年7月17日に無期懲役判決が確定しましたが、2010年3月26日に再審無罪判決が言い渡されました。

 

6)布川事件

1967年8月30日に茨城県北相馬郡利根町で発生した強盗殺人事件。1978年7月3日に無期懲役判決が確定しましたが、2011年5月24日に再審無罪判決が言い渡されました。

 

7)氷見事件

2002年3月13日に富山県氷見市で発生した強姦未遂事件。2002年11月に懲役3年の判決が確定し、2005年1月まで服役していたものの、2007年1月になって真犯人が判明。同年10月10日に再審無罪判決が言い渡されました。

 

8)名張事件

1961年3月28日に三重県名張市で発生した殺人事件。1972年6月12日に死刑判決が確定しましたが、現在、再審請求中。

 

9)袴田事件

1966年に静岡県清水市で発生した強盗殺人、現住建造物放火事件。1980年12月12日に死刑判決が確定しましたが、現在、再審請求中。

 

名張事件及び袴田事件はいずれも、日本弁護士連合会において慎重な審査を経た上で、誤判の可能性が高いとして再審請求の支援が決定されています。現在、同連合会人権擁護委員会内に事件委員会が設置され、再審無罪判決の獲得へ向けた活動が行われています。

 

10)飯塚事件

1992年2月20日に福岡県飯塚市で発生した殺人、未成年者略取誘拐事件。2006年9月8日に死刑判決が確定し、再審請求を準備中の2008年10月28日に死刑が執行されました。現在も遺族により再審請求は続いています。

 

11)誤判と死刑

誤判の可能性のないことを要件として死刑の適用を認めればよいのではないかとの考えもあり得ますが、そのような制度は理論的に不可能です。刑罰は行われた犯罪行為に対して定められ、なおかつその刑罰は公平なものでなければなりません。

したがって、同じような行為について、現行犯として検挙された場合には死刑が適用され、そうでない場合には死刑が適用されないというように、いつ検挙されたのかという偶然の要素によって生死が分かれるような不公平な制度は許されません。

また、すべての判決は、誤判の可能性がないと判断されたからこそ言い渡されるのであって、判決の中で適用される刑を決める基準に「誤判の可能性の有無」という要素を取り込むことは制度として不可能です。

 

12)絞首刑の残虐性

「絞首刑は残虐な刑罰ではないのか?」(現代人文社刊)に詳しく説明されています。

 

13)殺人事件の発生率

平成23年版犯罪白書(法務省)によれば、殺人事件の発生率(人口10万人当たりの認知件数)は0.8、認知件数は平成13年に1,340件であったものが平成22年では1,067件と減少している(昭和35年版犯罪白書によれば昭和33年の発生件数は2,683件です。)。強盗致死事件の認知件数も平成13年に96件であったものが平成22年では36件に減少しています。

 

14)最高裁大法廷昭和23年3月12日判決

最高裁大法廷昭和23年3月12日判決は、死刑は憲法36条に違反しないとの結論を採っています。しかし、この判決では、「死刑といえども他の刑罰の場合におけると同様に、その執行の方法等がその時代と環境において人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、勿論これを残虐な刑罰を言わねばならぬ」としています。

また、補充意見でも「ある刑罰が残虐であるかどうかの判断は国民感情によって定まる問題である。而して国民感情は、時代とともに変遷することを免れないのであるから、ある時代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りうることである。したがって国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定されるにちがいない。かかる場合には、憲法第31条の解釈も自ずから制限されて、死刑は残虐な刑罰として憲法に違反するものとして、排除されることもあろう。」としており、時代と環境、文化の発達によって、死刑制度が残虐な刑罰となる可能性を認めています。

 

15)死刑と他の刑罰の質的な違い

懲役刑や罰金刑も、国が、個人に他人の自由や財産を奪うことを禁止していながら、国家が自由や財産を奪うのであり、同じように矛盾しているではないかとの指摘もあります。

刑罰が個人に苦痛や不利益を与えるものである以上、一定の範囲で、社会制度として、個人には許されない侵害的行為も国家には許容されざるをえません。                             

しかし、生命はいったん奪われてしまうと回復が不可能であり、自由や財産とはまったく質が異なっています。自由や財産を奪う刑罰と、生命を奪う刑罰とを並列的に考えることはできません。

 

16)死刑廃止条約

正式名称は、「死刑の廃止を目的とする『市民的及び政治的権利に関する国際規約』の第二選択議定書。2009年現在72カ国が批准しています。