殺人が許されないのは、人の生命が何よりも尊重されるべき、かけがえのない保護法益であり、あらゆる法益の源だからです。

被害者がどんな人物であろうとも、その生命が尊重されるべきであることに異論はないでしょう。

このような生命尊重の理念から、我が国は、まさに生命が奪われる危険が差し迫っている場合に、その生命を守るための殺人を正当防衛や緊急避難として違法性がないものとするほかは、すべての個人による殺人を禁止しています。

 

他方で、死刑制度は国家が人の生命を奪うものです。

しかし、死刑制度を正当防衛や緊急避難の場合と同じように考えることはできません。

死刑制度によって、殺人を犯した人の生命を事後的に奪っても、すでに失われてしまった被害者の生命を守ることはできないからです。

では、国家であれば、正当防衛や緊急避難以外の場合にも、より広く人の生命を侵害することを正当化する理由が認められるのでしょうか。

国家もまた、人の生命を何よりも尊重すべきことに変わりはありません。

むしろ、国家は生命の尊厳を保障すべき責務を負っています。

 したがって、国家は、たとえ罪を犯した者であっても、やはり、人としてその生命を尊重し、保障しなければなりません。 

 

国家が生命を奪う死刑制度を刑事司法制度として存続させていることは、国家が本来、人の生命を尊重し保障する責務を負っていることに対し、根本的な矛盾を抱えているというほかありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、死刑制度の具体的な執行は刑務官が行っています。

 しかし、刑務官もまた人です。刑務官にとっては死刑確定者も自分と同じく一人の人間であり、しかも、日常的に接触し、話をし、その心情をも聞いている相手です。

刑務官は、そうした人の生命を奪うことを強いられており、その精神的負担は想像を絶するものがあります。

たとえ法に基づく職務であり、自ら選択した職業であったとしても、国家が刑務官に死刑の執行、すなわち、人の生命を奪うことを命じることは、当該刑務官の人間としての尊厳を傷つけることにもなりかねません。 

国家によって人の生命を奪うことの実行を命じ、人の生命を奪うことをその職務に含む職業は無くさなければなりません。

 

矛盾を抱え、個人に人の生命を奪うことを命じる死刑制度を存続させることはできません。

 

(1) 誤判の場合に取り返しがつかないこと

(2) 犯罪抑止効果の存在が実証されていないこと

(3) 死刑制度が刑罰の目的の一部しか達成しえないものであること

(4) 死刑が残虐な刑罰であること

(6) 国際的な潮流であること

(7) 死刑制度は私たち全員が責任を負うべき問題であること

(8) 死刑制度が廃止されるべきこと