誤判であった場合に死刑が執行され、ひとたび生命が奪われてしまうと、もはや取り返しはつきません。
我が国では、死刑判決が確定した者にも再審の制度が定められています。
そして、死刑判決の誤りが再審で明らかになった例が現実に存在しています。
免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件という4件の死刑判決が再審により無罪となり、4人の死刑確定者が釈放され、生きて社会に復帰しました。
死刑判決にも誤判があるのです。
誤判の問題は過去の話ではありません。
最近でも、無期懲役判決が確定していた足利事件と布川事件で、相次いで再審無罪判決が下されています。
氷見事件でも服役後に真犯人が見つかり、再審無罪判決が下されていす。
今も、死刑判決が確定している名張事件や袴田事件において再審が請求されており、その結果無罪となる可能性が十分にあると言われています。
また、飯塚事件では、誤判の疑いがあるにもかかわらず死刑が執行されてしまっており、もはや再審によっても失われた生命を回復することはできません。
刑事裁判も人間が行うものである以上、誤判を完全になくすことはできません。
したがって、死刑制度が存続している限り、誤判による死刑判決が下され、その執行がなされ、どのようにしても取り返しのつかない事態が生じることは避けられません。
この点について、現行犯逮捕された場合のように犯人性が明白な事案であれば死刑を適用してもよいのではないかとの見解もあります。
しかし、たとえ現行犯とされる事案であっても、現行犯性についての判断、さらに違法性阻却事由や責任能力、重要な情状事実についての判断に誤りが生じる可能性を拭い去ることはできません。
死刑にするべきでない者を誤って死刑にするべきと判断してしまうおそれのまったくない裁判は存在しません。
仮に、判断を誤る可能性が全くなく、真に死刑が相当であると考えることのできる事案が存在するとしても、その事案で死刑を適用するために死刑制度を存続させている限り、その他の事案で間違って死刑が適用されて、取り返しのつかない事態が生じることを防ぐことはできません。
真に死刑が相当な事案だけを、常に完全に間違うことなく選び出すことは不可能だからです。
刑事司法制度としては、無辜を罰してはならないことと同じく、死刑になるべきでない人を誤って死刑にしてしまうことは絶対に避けなければなりません。
現行制度の下で死刑が相当であると考えられる事案が死刑にならなくなるとしても、決して誤って人の生命を奪ってしまうことのないように、
刑事司法制度として死刑制度は廃止すべきです。
(3) 死刑制度が刑罰の目的の一部しか達成しえないものであること