我が国で死刑が選択されている事案は、被害者が複数であったり、その殺害方法が特に残虐であるなど、もはや死をもって償うしかないと思われるような事案であるとされています。
世論調査でも、「被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」「凶悪な犯罪は命をもって償うべきである」という応報感情が、死刑存置の主たる理由となっています。
しかし、そのような事案であっても、犯罪の背後には、個人及び社会の様々な問題が存在しています。
犯罪を犯した個人に全ての責任を負わせ、その存在を永遠に社会から排除することによって解決しようとすることは間違っているのではないでしょうか。
刑罰の目的は応報だけではありません。
刑罰は、歴史の経過とともに、応報に加えて矯正及び社会復帰をも目的とするようになりました。
したがって、行刑は、罪を犯した人たちが、それぞれに抱える問題点を克服し、やがては社会の一員として復帰することを重要な目標のひとつとして考えるべきです。
しかし、死刑は矯正及び社会復帰という目的のために執行されることはありません。
死刑判決を受けた人は、ただ生命を奪われ、永遠に社会からその存在を抹殺されるだけであり、改善に向けた処遇を受けることはありません。
そこには更生、矯正や社会復帰という理念は一切存在していません。
このように、死刑制度は、刑罰の目的のうち矯正及び社会復帰という目的を達することのできない制度であり、刑罰としては不十分な機能しか果たしえないものと言わざるをえません。
誤判の場合に取り返しがつかないにもかかわらず、このように不十分な刑罰である死刑制度を、
あえて刑罰の一種として存続させなければならない理由はありません。